leap before you look

カレーだいすき。

犬、雨の日と夏の夕方の思い出

昨日今日と、母が福島からこちらにやって来てたので、妹と3人で遊ぶ。減量の話や、減量を通じての心の動きの話や(どうやら母が減量にあたって大事にしてほしかったのは心の動きのあたりらしい、自分に対する前向きさというか)、結婚の話などをとめどなく話す母娘3人。聞かなきゃよかったのかもしれないけど、連休からどうも気になっていたことがあって、聞いてしまった。それは実家で飼っていた白い犬のこと。犬はやっぱり死んでしまっていた。
犬(私は名前をつけずに「犬」と呼んでたのでこう書く)は、ずっと元気でやってたんだけど、5月の連休で帰ったときに、とても痩せていて、足取りもなんだかふらふらで、もう・・・なんだか長くないなという雰囲気を漂わせていた。犬は、私が院に行く前の1年、実家に帰ったちょうどそのあたりに私の家にふらりとやってきて、そのまま住み着いたのだった。私が福島に一旦帰ったということが、私の中で、今の私になるという過程でとても大きな意味を持つことで、だから、犬がその時にちょうどうちにやってきたということも何か運命みたいに勝手に思い込んでた。当時私は仙台と東京と福島とをせわしなく行き来していたのだけど、それでも土日はまるっきり福島にいたから、犬と走ったり、犬と遊んだり、いつだって犬のことがかわいかった。私は当時とにかく自分に迷っていて、人生とか愛とか、一体どうやったら、先が見えなすぎるといつも悩んでいた気がするけど、犬といると何か心が一つになったような気持ちになっていた。
特に思い出すのは雨の日のことと、夏の夕方のこと。雨の日、私の部屋の縁側にやってきて、網戸ごしにこっちを見てる姿とか、夏の夕方(夏休みの期間いろんなところを行き来することもなく、私はいつでも実家にいたから)毎日のように犬と散歩をしてたとき、犬がとにかく早く走りたがって私をひっぱってく時の感触とか草のにおいとか・・・そういうのを、とにかく思い出す。半年くらいそうやって密に犬と一緒にいたのだけど、秋の院試でまた青学に戻ることになって、東京に行きたかった私はうきうきして犬のことは家族がなんとかしてくれるだろうと思って、東京に舞い戻って来た。
そして私は今、そのことがとにかく心残りだったなと思っている。もちろんあの時は仙台に行くか東京に行くかという迷いはほとんどなくて東京に行くことを選ぶしかなかったけど、そしてその選択そのものについては全く後悔していないけど、犬をかわいがるだけかわいがって、置いて来てしまった、というような感覚なのだ。犬を飼う以上はいつか死んでしまうのに、そんなことは全然考えもつかなくて・・・なんだろう、毎日死を意識して何かと接するなんて今はあまり考えられないことだけど、こんなふうに思うくらいなら、置いて来るにしても何かやり様があったんだろうか、とか、とにかく深みにはまっている。今日になってだいぶ落ち着いたけども。
今までも、実家では犬も猫もたくさん飼ってきて、そして死んだりしたのも何回も見て来たのだけど、こんな風に考えたことはなかった。今までは、寿命なんだな、とか、悲しいながらも後悔はあまりなかったのだけど、今はとても悲しいし何かやはり後悔のようなものが残っている。でも最後に、社員氏を犬に会わせられて、それだけはよかったかなと・・・思う。犬は、私の人生の転換期のパートナーみたいだったから、いつまでも後悔してないで、なにか、整理がつくといいなと思う。
というように、私の中の話で終わってしまっているということも悲しいところ。